ネタの旅

倶利伽羅−石動間県境徒歩


区間全駅ネットワーク(サイトのトップ)ネタの旅(コーナーのトップ) >当ページ

●ルート

 2000年11月12日
 【金沢】11:21発−(普通)→【倶利伽羅】11:39着、11:40発−(徒歩)→【倶利伽羅不動寺】12:30着、12:40発−(徒歩)→【石動】13:55着、14:03発−(普通)→【金沢】14:27着

●金沢−倶利伽羅(北陸本線)

 前の週に、長野方面へ行った。そして、その後1週間過ごしたのだが、どうも土日、ずっと寝ているよりも出歩いた方が体調によいことに気づいた。ということで、とても単純なのだが、日曜日にどこかへ行こうと思った。

 そこで、路線バスを乗り継いで富山、とか、高岡の加越能鉄道とか考えたのだが、ちょうど紅葉の季節でもあり、倶利伽羅へ行こうということになった。というよりも、一人で行くので、朝起きたときに思い立ったのである。とりあえず、雨については、降水確率を見る限り午後から危ない。ピンポイント予報を見ると、夕方まで大丈夫というものや、午後からは50%というものもあり、よく分からないがとりあえず行ってしまう。

 本当は、8時ちょっと前に金沢駅に行くことができれば、松任行き・美川行きの「方面案内放送」を聞くことができた。起きることができたのだが、やっぱり眠いのでそれらはまた次の休みの日に回すことにする。ここからの経緯は少し省略して、結局、11時21分発の直江津行き普通列車で倶利伽羅へ向かうことにした。

 倶利伽羅まで320円。その前の津幡まで230円であるから、若干高い。高岡まで740円もするということに初めて気づいた。ホームへ行き、列車に乗るが、短距離であるので無理してクロスシートに座る必要もなく、ロングシートの部分に座る。短距離だが、列車に揺られるのはよい。北陸新幹線の建設現場を見ながら、森本も過ぎる。津幡を過ぎて山に入り、新幹線の建設現場がオーバークロスしていき、8号線のバイパスをアンダークロスすると、まもなく倶利伽羅に到着する。

●倶利伽羅−石動(徒歩)

 降りる乗客は私だけのようであったが、乗ってくる乗客は何人かいた。大きな町なら金沢が近いが、そこそこの規模で買い物ができればよい、となると、津幡より小矢部(石動)の方がよさそうで、それで乗ってくるようである。少し倶利伽羅駅のホームで周囲を見渡す。昔の機関車付け替え駅の雰囲気も若干あるが、やはり山の中の駅である。跨線橋を渡って駅舎へ行く。いつも列車で通過するだけだと、ホームに少し屋根がついた程度しか変化がないが、駅舎がきれいであった。しかも、キップの自動販売機もある。駅舎の前にある駅名板も、歴史的な文字で書かれている。駅前には丸形ポストがあったり、ちょっとした商店もあり、雰囲気はよい。

 一応、この駅は集落の中にあり、少し家の並んでいるところを歩き、旧国道8号線に出る。とりあえず、富山方面へ向かって歩き出す。交通量はさほど多くないが、歩道があり、安心できる。そうしているうちに、すぐに「倶利伽羅不動寺→3キロ」という標識があった。そのまま旧8号線を歩いて、石動まで向かってもよいが、せっかく来たので倶利伽羅不動寺へ行こうと思った。なんなら、そこへ行って引き返してもよい。そう思っていた。それが甘い考えだったのだが…。

 その道は2車線で割と広い。歩道もあり、このまま、わずかな勾配で3キロなら40分ぐらいかな、と思っていた。そして、しばらく歩くと、その道が左にカーブしている。曲がった瞬間、目の前に急な坂道が現れた。完全な山道だったのである。ここで戻ってもしょうがないので、そのまま進んでいくことにする。

 一方的な上り坂で、しかもきつい。車もほとんど通っていない。まあ、ハイキングだと思って、そのまま上っていく。紅葉も若干あり、きれいである。ただし、針葉樹の割合が高くて、わざわざ見に来るものでもない。そうしてどんどん上っていく。電柱には常に「不動寺↑」と書かれていて、道を間違えていないということが分かるのだが、それがなければ不安でしょうがない。ときどき、下ってくる車とすれ違う。とてもスピードを落としている。ということはこういう感じで坂道がずっと続いているということである。

 そうしているうちに、一方的な上り坂から、少し平坦になった。だいぶ楽になったと思った。道が急カーブしているので、その通り進んで、まもなくして再び上り坂になった。単に、ヘアピンカーブにするために平坦になっていただけであった。更に上っていく。ときどき、下の景色が見える。8号線や北陸本線がずいぶん下に見える。倶利伽羅駅まで見える。これだけの高さを上ってきたのである。山登りそのものである。倶利伽羅峠ということで、鉄道上は難所とされているが、それをずいぶん高いところから見下ろしている。何となく、篠ノ井線の姥捨駅から下を見下ろしているようである。

 更に上り、カーブがあった。周りを見ても、山はそれ以上高くなっていないようである。そのカーブのところでは、作業をしている人4人ほどが昼食を食べていた。そういえばさっき、12時の音楽が聞こえていた。そうして、しばらくいくと下り坂になっていた。楽になる。そこを下っていくと、何軒か家があった。「山森」という集落である。ここは石川県なのか富山県なのか。標識を見ると津幡町にありがちな白鳥の絵がある。その他、看板を見るとどうやら石川県のようだ。ここで「旧北陸道」という道があった。「北陸自動車道」ではなく、江戸時代かそのあたりの道である。これを行くと何となく引き返すことになりそうなので、やめておく。

 それにしても、家の造りが、下とは若干違う。しかも、雪に対しての備えらしく、プラスチックのトタンのようなもので家を囲んでいた。冬の支度をしている。そしてしばらくすると、上り坂が見えた。また登りである。そして、鈴の音が聞こえてきた。前から歩いてくる人から聞こえてくる。よく見ると、山登り的な格好をしていて、杖を持っている。えっ、そういうレベル?山登りや。まあ、確かに寺へ行くから…。

 そうして上り坂を上っていくと、また集落があった。「刈安小学校冬季分校」というものがあった。そういうレベルのところなのである。このあたりの家にいくつも付けられている鉄板の広告を見ると、富山県小矢部市のショッピングセンターのものだった。その集落を過ぎると、道が狭くなった。歩道もなくなる。交通量が少ないから、大丈夫であろう。植木で壁のようなものがあり、2ヶ所ほど厳重な扉のある入り口がある。中を見るとリンゴ畑であった。そして、カーブを曲がると、今までに見たことのない急な坂である。冬、どうやって昇るのか分からない。冬でなくても、ちゃんと車が上るのだろうか。現に今のぼっていても、まっすぐ立とうとすると道に対して垂直では無理である。そんなことをすると転がってしまう。そういう高さである。そういうところを少し歩くと、「倶利伽羅不動寺←400m」という標識が見えてきた。そこを曲がり、しばらく、割と平坦な山道を歩く。下がきれいに見えて、なぜか海らしきところまで見える。そうしているうちに、駐車場と、バス停が見えてきた。北陸鉄道のバス停には「臨時」と書かれていて、時刻は乗っていない。加越能鉄道のバス停には時刻がいくつか書かれているが、「毎月28日のみ」と書かれている。どうやらそういうところらしい。 駐車場から、すでに寺っぽい雰囲気がある。階段があり、赤い旗がたくさん立っている。それぞれに、その旗を寄贈した人の名前が書かれている。その階段を上っていくと、案内のテープが流れていたり、手洗い場(トイレでない)があったりと、それらしき雰囲気である。だいたい10人ぐらいの人がいたのではないかと思う。そこを上っていくと、寺があった。お守り売場もあり、食堂・売店もあった。これが倶利伽羅不動寺であった。倶利伽羅駅を出たのが11時40分で、到着が12時30分。50分間の登山であった。

 トイレへ行って、手を洗うと水が冷たい。もう、このあたりの井戸水は冬であった。自動販売機で冷たいお茶だけ買い、飲む。うどんぐらい食べてもよかったが、朝食が遅かったのでまだ後でよい。

 そうして、少し寺を見回した後、再び階段を下っていく。階段の天井には提灯がいくつもあり、それにも寄贈した人の名前が書かれていた。そうして、駐車場まで降りてきて、どうやって帰ろうかと考える。そのまま、もと来た道を戻ってもしょうがない。事前に地図を見た限りでは、そのまま富山県側に「下山」しても大した距離でもなさそうである。ということで、とりあえず石動駅を目指すことに決定。で、石動駅までいくつかのルートがある。いわゆる自然遊歩道的な道路も良さそうだが、石動駅まで遠そうである。とにかく、石動駅まで最短ルートで行くことを考え、そのまま、旧8号線に出る道から帰ることにした。ここを出発したのが12時40分。

 そうして、さっきと逆方向に歩き出す。すぐあった別の駐車場らしきところに、北陸鉄道のバス停があり、やはり「臨時」と書かれている。4本分ぐらいの時刻が書かれているが、「28日のみ」と書かれていない。バスは来るのだろうか。

 そして、山道を下る。若干の歩道らしきスペースがあるが、基本的にヘアピンカーブの下り坂である。カーブがいくつも続いている。車で降りると確実に酔ってしまうところである。若干の紅葉もあるが、針葉樹があったり、かなり落葉していて、とてもきれいということでもない。ただし、道にはたくさんの葉が落ちていてきれいである。

 カーブをいくつも曲がって降りていく。どう考えても車道である。交通量が少ないだけまだよい。そして、しばらく下ると、道に出た。左に曲がると津幡。右に曲がると小矢部。どうやら旧8号線天田峠である。しかも、右に曲がってすぐに県境がある。「富山県」という標識と「小矢部市」という標識がある。迷わず右に曲がる。県境であるが、上り詰めたところが県境なら感じが出る。しかし、かなり下ってきたところが県境で、しかも峠なら何となく面白くない。しかも、今まで下ってきた道を後から地図で確認すると、何回か富山県に入っていたようである。

 そして、歩道がないが交通量の少ない旧8号線を下っていく。しばらくまっすぐな道である。その間に、北陸本線の倶利伽羅トンネルの下を通っていたらしい。下っていくと集落がある。そこを過ぎると、ちょっとだけカーブがある。そこを曲がろうとしたが、何となく車の音がたくさん聞こえてくる。何台も通っているようである。そうしてしばらく歩くと、下に8号線が通っていた。トンネルから出てきた8号線である。そこの上を陸橋で通ればかっこいいのだが、ここは旧道。そういうことをせずに、少し引き返す形で、新8号線のトンネルの上を通り、新道と並行する形で下っていく。8号線の方を見ると「富山県」「小矢部市」というきれいな標識がある。ここが県境なのだろうか、と思ったが、どうやら、トンネル内に標識を作るのもなんなんで、ここに作ったらしい。並行する道がすでに富山県入りして、集落もそういう名前になっているのに、新道だけが県境というのは何となく不自然であった。そうして、しばらく新道と並行して降りていき、新道と交差する。

 この「安楽寺交差点」で、8号線の新旧が交差するのだが、ここから、8号線は小矢部の市街地を迂回して、山の中に入る。ということで、石川県方面から小矢部市街地(石動駅方面)へ行くには、8号線ではなく、旧8号線を通ることになる。そういうことで、旧8号線はこの交差点以降、交通量が増える。ただし、歩道があるので大丈夫である。

 しばらく、その交通量が多くなった旧8号線を歩く。ここまで来ると確実に石動駅に行くことは分かっているので安心しているが、車でも距離があったような気がする。歩くともっと距離がありそうである。しばらく、下っていく。下に渓谷のような川が流れているが、ゴミが多く落ちているのでどぶのようである。そうしているうちに、線路が見えてきた。倶利伽羅トンネルから出たばかりの北陸本線である。

 そうしてしばらく、線路と並行する。その距離は歩くにしては長いので、その間に、金沢行き419系の普通列車や貨物列車、特急はくたかが行き去った。そしてしばらくすると、3両のサンダーバードが富山へ向かったと思ったら、富山方面からやっぱり3両のサンダーバードが来て、そして、米原・名古屋へ向かう特急しらさぎも去っていった。ここで分かったのだが、列車で例えば石川・福井県境の熊坂トンネルを通るときに、電子音のようなものが聞こえてきた。何だろうかと思っていたが、列車が近づくと鳴り出すようである。工事などのための警報のようである。

 それにしても、線路と並行しだしてからも長い。そして、道も平坦になり、だんだん市街地のようになってくるが、やはり歩くと長い。まだか、と思いながら、ようやく本格的に市街地になり、石動駅に到着した。雨が少しあたりかけたが、大丈夫だった。

 石動駅到着は13時55分。下りであるのに、倶利伽羅不動寺から1時間15分かかっている。倶利伽羅不動寺からなら、倶利伽羅駅の方が近いようである。しかし、安心感からか、石動へ向かう方が楽だったような気がする。しかも下りだったし。

 すぐに13時57分発の「高岡方面富山行き」の普通列車と、14時3分発の「金沢方面福井行き」普通列車があった。一旦高岡まで行こうかと思ったが、まあ、それは次の機会にして、すぐに列車があるのだから、さっと金沢まで帰ることにした。400円。80円高くするために歩いてきたといえばそうなるのだろうか。倶利伽羅不動寺での休憩を除くと2時間5分。今までの駅間徒歩で最も長くて、最も山道だったような気がする。危険度でいうと、青海−親不知間にはかなわない。ホームに行くと、少し雨が降ってきたようである。すぐに来てよかったようだ。

●石動−金沢(北陸本線)

 しばらく待つと、普通列車が入ってくる。幸いにボックス席が1つ空いたのでそこに座らせてもらうことにする。さっき歩いた旧8号線が右側にある。列車で通り過ぎるととても速い。そして、倶利伽羅トンネルへ。今まではちょっと長い、耳が痛くなるトンネルだったが、その外を歩いてみると見方が変わる。青海−親不知間のトンネルを通るたびに、その外を歩いたことを思い出すが、このトンネルも、今後、そういう思いで通ることになるだろう。そして、しばらくして、今回の駅間徒歩スタート駅だった倶利伽羅。

 その後は、新幹線の工事現場を見ながら、金沢まで戻る。


区間全駅ネットワーク(サイトのトップ)ネタの旅(コーナーのトップ) >当ページ