JR各線を巡る旅の記録

3 城端線・氷見線



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1日目 1990年11月3日
【城端】15:59発−(普通)→【高岡】16:46着、16:59発−(普通)→【氷見】17:29着、17:34発−(普通)→【高岡】18:02着、18:28発−(普通)→【金沢】19:09着(臨時列車運転のため、19:15着)

 そろそろ「乗りつぶし」ということを意識してきた頃。家族で出かけたついでに、途中から単独行動。城端から城端線、そして氷見線に乗ってくることにした。

 なお、この旅については、城端線のみ、小さいメモ用紙2枚程度のメモが残っていました。ただし、各駅のホーム・線路の数と、その他ちょっとのメモしかないため、あまり参考にはなっていません。


●城端−高岡(城端線)

 家族で白山スーバー林道へ自動車で。とまあ、典型的な家族ドライブなのだが、当時は高校1年。割と家族で出歩くというのがイヤでもあり面倒でもあり。ということなのだが、どういう訳かこの時は着いていくことになった。金沢から白山麓を抜け、白山スーパー林道を通り岐阜県へ抜ける。それから白川郷を経て、富山県に抜ける。山を抜け、平坦なところへ来て、ようやく列車の通る町へ来た。城端町。ここで降ろしてもらい、後は列車で帰ることにする。そういえば、この年の夏、新潟でも同じようなパターンで降ろしてもらい、列車で帰宅、ということをやったのであった。とりあえず、氷見までの乗車券を買う。

 城端を出て、すぐに東海北陸自動車道がオーバークロスする。当時は使われていたのか、工事中だったのかよく分からない。そうしてその後は基本的に水田の中。ただし、この砺波平野独特の「散居村」というタイプの造り。水田が広がっていて、その中でポツンと少し森のようになっているところに、1軒だけ家があるという形。そういうものがよく見えるというのがこの路線の特色である。

 福光駅では線路が3本あった跡があるが、今あるのは2本だけ。この路線は線路がなくなってきたという駅がいくつかある。

 かなり乗客は少なかったが、福野で多く乗客が乗ってくる。近くの工場への引き込み線が印象的である。砺波駅では2本ある線路と線路の間が空いていた。今では橋上駅になっているのだが、おそらく今とは違う造りだったと思う。油田駅では、昔線路であったところにコスモスがきれいに咲いている。今ではそういうキャンペーンのようなものをやっていないようであるが、当時は「城端線」を「常花線」ともじって、どの駅でも花を植えていて「フラワーライン」ということでやっていたのであった。

 そうして、高岡市に入って、戸出から住宅が多くなり、高岡に到着する。

●高岡−氷見−高岡(氷見線)

 高岡発16時46分。乗客が多い。祝日であるが、帰宅する人が多いのであろう。どうにか空いていた席に座る。

 ただし、この路線、その後から何度か乗っていて、その時に見た車窓の印象が強い。この時に何を見たのか、よく覚えていない。

 越中中川で、何となく学校が近そうであったこと。能町を過ぎて、伏木まで、工業地帯だったこと、伏木の駅で反対側の列車とすれ違ったこと。伏木を出てから、妙に狭いところを走っていたこと。越中国分を過ぎてから、急に海の近くに出たこと、そういうことぐらいは覚えている。

 そうして氷見に到着。そのまま改札を出て、金沢までの乗車券を買う。そうして再び同じ列車で高岡まで戻る。

●高岡−金沢(北陸本線)

 高岡駅で20分以上、時間があるのだが、直通の低額な乗車券のため、改札を通ることができず、ホームでたたずむ。高校生の会話を聴く。となると、今では10年以上も下の人の会話、となるのだが、当時は高校1年。1つか2つ上の人の会話であった。模試などの会話をしていた。

 そうして、今日初めての北陸本線。すでに暗くなっていたが、やはり気動車とは違う揺れの中、金沢まで戻る。


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