JR各線を巡る旅の記録

12九州(94年)概要・全日程


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●行程 (特記なき限り普通列車・快速・新快速列車)

1994年8月13日
 【金沢】?発→【福井】?着、17:25発→【長浜】19:35着、19:36発→【京都】20:50着、21:32発−(快速ムーンライト九州)  

1994年8月14日
 (快速ムーンライト九州)→【厚狭】5:09着、5:12発→【門司】6:01着、6:32発→【博多】7:45着、9:21発−(特急かもめ7号)→【諫早】11:07着

1994年8月16日
 【諫早】19:13発−(特急かもめ38号)→【博多】20:58着、21:19発→(快速ムーンライト山陽)

1994年8月17日
 (快速ムーンライト山陽)→【京都】7:47着、7:57発→【堅田】8:21着、8:24発→(特急雷鳥13号)→【敦賀】9:02着、9:11発→【福井】10:19着、10:51発→【金沢】12:37着

●経緯

 この回は、単に親類の家へ行くというものである。そのため、単純に金沢−諫早間の往復である。このような旅(旅といえるかどうか分からないが)は、96年に2回ほどあるが、その時と今回の違いは90年のこのシリーズ開始以来の新規乗車か否かということだけである。今回乗った区間そのものは、小さいときから何度か乗っているが、「乗りつぶしの旅」始まってからは初めてである。ただそれだけでこのシリーズに入っているのである。そのため、目的が乗りつぶしでないため、さほど詳しくはならない。

●全体として

 単に親類の家へ往復しただけであるが、臨時快速「ムーンライト山陽」の天国と地獄を見たという感じである。

●金沢−京都(北陸本線・東海道本線)

 まずは福井まで普通列車で行く。これは通学で乗っている区間なのでさほど珍しくはない。時期的に客層がいつもと違うことぐらいである。

 福井で、友人の家へ行く。8月27日から南東北へ行く打ち合わせである。そして時間になったので、福井駅へ行く。妹が乗ってくるはずで、乗るべき車両は指定しておいたのですぐに見つかる。本題からはずれるので詳しく書かないが、両親は高速バスで福岡まで行くことになっている。バスのきっぷが2枚しかとれなかったので、2人あふれてしまったのである。自分の場合はどちらにせよ列車を使うので、こちらでよいのだが、バスからあふれてしまった妹が今回列車で行くことになったのである。

 よく通る区間を通り、敦賀で3両切り離され、さらに進む。そして、長浜で新快速列車に乗り換え、京都まで行く。

●京都−厚狭(東海道本線・山陽本線)

 そして京都まで着いた。ムーンライト九州のホームまで行ったが、もう到着していてかなりの人が乗り込んでいた。今回、この列車の指定席については、帰りの分については確保できたのだが、行きの分は確保できなかった。そのため、夜行列車・バスでは移動する手段がなくなってしまい、結局この列車の自由席を使わざるを得なかったのである。

 ところが乗り込んでみると、座席どころか、通路どころか、客室にすら入ることができなかった。デッキにいるしかなかったのである。この前の年に北海道へ行ったときの急行きたぐにで、糸魚川までこういう状態であったが、それと同じようである。といっても降りるわけにもいかず、新大阪・大阪・三ノ宮・神戸と過ぎていく。そうしているうちに車内に少し動きがあったようで客室までは入ることができた。この車両はデッキから客室に入りすぐに座席があるのではなく荷物置き場がある。そこの前に立つこととなった。もう少し奥へ行くことができれば、座席の横の通路に座り込んで「着席」できるのだが、この場所では床に「着席」できる余裕がない。2段式に荷物置き場の上に座っている人がいる。せめて、指定席の床にでも座らせてもらえればここも余裕があるのだが、そういうわけにもいかないようである。

 そうしているうちに、周りに同年代の人がいるようで、その人たちと話すようになってきた。今回の旅(?)の目的が、きちんと親類の家へ行くと言うことだったので話しやすい。いつものようにただ路線に乗りに行くためだけでここにいるようなら、迷惑な話であろう。厚狭に実家があり、戻る人や、宮崎に戻る人などである。また、自由席を確保するために夕方の4時頃からホームにいたそうである。発車の45分前に来た自分と、ほぼ同じ境遇である。こちらの方がトータルで見ると得をしていることになる。

 結局、姫路を過ぎても岡山を過ぎても座ることができずに、時刻表上「レ」印がずっと続く区間に入ってしまった。といっても、厚狭まですべて通過するわけではなく、運転手交替等々でいくつかの駅に停まるのである。

 そうして、全く座ることができずに、広島県を通り抜け、山口県に入ってしまう。せめて外が見えれば面白いのだが、窓もなく、停車してもどこか全く分からない状態であった。とりあえず周りの人と話をするだけであった。

 このまま博多まで乗ってもよいのだが、座ることができないなら普通列車に乗り換えた方がまだよい。そこで岡山以降最初の停車駅である厚狭で降りてしまうことにした。すぐに小倉行きの普通列車に接続している。

●厚狭−門司(山陽本線)

 ということで、混雑のために厚狭から諫早までが今回の乗りつぶし上の「新規乗車」となってしまった。そのうち、博多−諫早間は小さいときから何度も昼間の列車で乗っているが、厚狭−博多間は昼間の在来線としてはおそらく初めての乗車でないかと思う。

 厚狭駅ではほとんど時間がなく、跨線橋を渡り普通列車に乗り込む。何人か乗り継いでこちらへ来たが、何人かしかいなかった。最終的に博多へ到着しても17分(門司駅ですぐに普通列車に乗れば10分)遅いだけだから、あの列車で立っている人は積極的にこちらへ来てもよかったのであるが、こちらも混雑しては意味がないのでこれでよいのだろう。

 厚狭駅は、列車の中で知り合った人の話によると、新幹線ホームを建設中とのことであった。何年か後に新幹線の駅が出来るそうである。(この文章を書いているとき現在ではすでに開業している。思ったよりも乗客数が伸びないとのこと。)

 黄色の気動車である。今から走る区間はすべて電化区間なのだが、気動車である。運用の関係であろうが、詳しいことはよく分からない。下関までの区間についてはその後1999年8月の旅行記「23広島・山口」で記録しているため、ここでは省略する。ただ、このときの感想としては、新下関駅で急に新幹線が立体交差して駅になっていることと、このあたりで駅名板を見て、昨日から金沢を出て一晩中立っていたのにまだJR西日本なんだなということである。

 構内が広い下関を出て、しばらく市街地を走る。そして、橋を渡って彦島に入る。造船所を見て、山の中に入っていき、そのまま関門トンネルに入る。新幹線のようにいくつもトンネルを通っていて、そのうちの一つが妙に長くてそれが新関門トンネルだったというものとは違い、また、青函トンネルのようにひたすら長いトンネルというわけでもないし、とにかく幅の狭い海峡を必要最低限の長さでトンネルを掘ったという感じである。

 下りから上りになって、しばらくすると、地上に出る。四角い出口で地上に出て、しばらくすると門司に到着する。

●門司−博多(鹿児島本線)

 構内の広い門司駅に降りる。この駅の構内が広くても意味がないようで、新幹線の開業によって衰退した駅のようである。駅前も広いが寂しい。もっとも、早朝であるので当たり前といえば当たり前であるが。

 このあと、8分ほどの乗換で熊本行きの普通列車がある。これに乗っても博多には割と早く着くが、両親との待ち合わせの関係で早く着いても仕方がないので、30分ほど待って快速に乗ることにした。ちなみに、普通列車の方が先に博多に着く。

 門司を出ると、市街地を走り小倉に着く。その後は、一晩中立っていたことがたたって、あまり景色を覚えていない。とりあえず、列車が古くて、頑張って走っていたという印象と、福岡市近郊らしい景色のところを走っていたという記憶がある。

●博多−諫早(鹿児島本線・長崎本線)

 博多駅の3番ホームで待ち合わせということになっている。しかし、待っていてもなかなか来ない。諫早の親類の家に電話をすると(今なら携帯電話に電話ということになろうか。)渋滞で遅れているとのことで、しばらく待つ。そうしても来ないので、駅前のバスセンターに聞いてみると、今着いたところだというので、見回してみるといた。

 そのため、少し遅れて特急かもめで諫早まで行く。ハイパーサルーンという列車は写真では何度か見たことがあったが、実物を見て乗るのは初めてである。入り口がまん中にあるので、同じ車両でも部屋が2つに分かれている。これがよいのか悪いのかは分からないが、他の地域ではあまり見ないので一般受けはしないのだろうと思う。

 博多からは福岡近郊を走り、やがて水田になりつつ鳥栖に着く。鳥栖から長崎本線に入る。佐賀県内の田園地帯を走る。北陸本線を走っているのとほとんど変わらない感覚である。複線でかなりスピードも出ているし、景色も北陸本線でよく見るものである。高架駅の佐賀で割と多くの乗客が降りる。そして、さらに田園地帯を走り肥前山口に着く。

 小さいときによく乗っていた記憶では、必ずかもめとみどりは肥前山口まで併結されて走り、ここで切り離しをして長崎と佐世保を目指したものであるが、いつの頃からか、多くの列車が単独で走るようになった。これにより肥前山口までの運転本数が単純に増加したはずで、そのためにこのようにしたのか、連結・解放作業を省いて、到着時間を減らす為なのかどうかよく分からない。

 肥前山口を出て、肥前鹿島あたりまでは、今までのような景色が続く。その後、しばらくするといよいよ有明海に沿って走る。海と山の間に隙間がほとんどなく、そこに国道と長崎本線が走っている。速度も急に落ちる。今までの田園地帯での快適な早さが嘘のようである。ただし、景色は格段によくなる。そのかわり、カーブが多くて、線路の悲鳴がよく聞こえる。また、単線のため、停車駅でなくてもすれ違いのための停車が多くなる。こうなってくると、どうも北陸新幹線よりもこちらの方が先ではないかと思ってしまう。北陸本線はかなり改善されてスピードが出るようになっている。こちらではそれが全く出来ない状態である。ただし、ここも、新幹線開業=在来線経営分離ということになっているらしく、そのような立て看板がいくつも出ている。

 海をずっと見て、たまに町があるということを繰り返しながら、対岸に島原半島が見えてくる。そして、さらに進むと、急に市街地になってきて諫早に着く。ここへ来るのは、およそ10年ぶりのことである。

●諫早−金沢(長崎・鹿児島・山陽・東海道・湖西・北陸)

 今回は乗りつぶしの部分がかなり少ない。特に帰りにいたっては単に帰っただけなので、さらっと書いておくことにする。

 親戚に見送られ、諫早駅まで来る。自分以外は、先に到着した臨時寝台急行「雲仙」に乗り込む。そして、三ノ宮でスーパー雷鳥(当時、サンダーバードはまだなく、臨時で「ニュー雷鳥」がサンダーバード型列車の試運転もかねて走っていた。)に乗り換えて、金沢まで帰ることになっている。このきっぷは割と楽にとれた。

 一方、自分の方は、帰りの「ムーンライト九州」のきっぷがとれたことと、青春18きっぷの消費もあったので、博多まで「特急かもめ」で行き、そこからムーンライト九州に乗ることにした。18きっぷは2枚使うが、確か計算するとこちらの方が安かったはずである。また、諫早−博多間は普通列車でもよかったが、このあたりが家内行事の宿命である。 急行雲仙は先に諫早に着くが、あとから来る「かもめ38号」が先に出発してしまう。その列車に自分が乗るということで、見送る親類としては同じホームで見送るので、忙しそうである。このあとのことをいうと、当然博多までは先に行く。博多で待っている間も追いつかず、ムーンライト九州の方が先に出発してしまう。しかし、臨時列車同士でどちらも客車列車のためか、差を付けているようで、博多を出て次の折尾ではなぜか急行雲仙の方が先に到着してしまっている。たしか海老津で客扱いをせずに長く停まっていた記憶があるのでそこで追い越してしまったのだろう。

 話は元に戻して、特急かもめはそのまま、もと来た線路を戻っていく。自由席であるが喫煙車に座ってしまったので、たばこの煙が煙たい。通路側の席で、しかも日没後のため外はあまりよく見えない。

 博多で「ムーンライト九州」に乗り換える。今度は指定席が確保されているので安心して乗ることが出来る。乗ってみて座ってみるととても快適な座席である。グリーン車並の座席で、とてもよい。同じ車両で、通路にも座れずに立ったまま移動するのとはえらい違いである。また、荷物置き場には自由席に座れなかったと思われる人がいるが、これは仕方がないだろう。

 快適な状態で京都まで来て、そして今回は珍しく湖西線経由となる。というのは、普通列車では金沢着が遅くなり、自動車学校の予約に間に合わなくなってしまうからである。そのため、一部区間を特急利用にしなくてはならないが、それを最低限に押さえるために堅田−敦賀間を利用することにした。そのため、堅田までは普通列車となるのである。

 堅田で、予定通り特急列車の時間待ちのため停車する。ここで普通列車を降り、しばらくすると「特急雷鳥」が入ってきた。それに乗り込み、そのままデッキに立って敦賀まで着く。敦賀からはいつも通り普通列車で金沢まで帰ってきたが、時間帯も違うし時期も違うため通学の時と客層が違い、芦原温泉でほとんど乗客が降りなかったということが驚いた。

 

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