JR各線を巡る旅の記録

28 南九州 2日目


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2000年5月4日
 【博多】7:23発−(普通)→【銀水】8:51着、9:00発−(普通)→【熊本】9:54着、10:04発−(普通)→【三角】10:52着、10:58発−(普通)→【宇土】10:35着、10:40発−(普通)→【八代】12:03着、12:06発−(普通)→【出水】13:41着(実際は57分頃着)、14:02発−(普通)→【西鹿児島】15:49着(7〜8分遅れ)、16:00発−(快速なのはな)→【山川】17:12着、17:15発−(普通)→【枕崎】18:17着、18:25発−(普通)→【山川】19:29着、19:38発−(普通)→【西鹿児島】20:57着
※博多から西鹿児島までの移動が基本。三角線も乗っておく。さらに明るいうちに指宿枕崎線を乗っておきたい---となると、自ずと博多発の時刻が決まる。そして、各駅での乗換時間がほとんどないという、「奇跡の日程」その1であった。しかも、朝人身事故があった関係で遅れてしまい、指宿枕崎線に乗れるかどうか心配だったが乗ることができた。日本最南端の西大山駅のあたりは独特な景色だった。

●鹿児島本線(博多−宇土)

 宿から駅が近いとかなり安心できる。これが健康ランドにはない、カプセルホテル・都市型サウナの魅力である。起きてから風呂に入り、少し早めに出る。そして、駅のコンビニで昼食を購入しておく。今日はかなり乗換がスムーズに行き過ぎてしまうため、おそらく昼食を購入する時間がないからである。そして昼ご飯を確保した後、朝食をということで、コンビニの横にあった吉野屋に入る。「朝定食」等ではなく、普通に牛丼を頼んでしまう。

 朝食を食べた後、ホームへ出る。この駅も何度となく来ている駅なので、特に珍しくはないが、やはりJR九州の駅だけあって、内装が変わっていて、ホームへ行くと来る列車も変わった色である。しばらく待っていると大牟田行きの普通列車が入ってくる。これに乗る。終点大牟田まで行っても良いが、その後での座席確保のため、一つ前の銀水で降りることにする。博多から鳥栖までは何度も乗っており、普通列車でも一度乗っているが、一応、詳しく見ておくことにする。また、鹿児島本線で未乗車だったのは実は鳥栖−長洲間だけで、後は一応乗っているのだが、かなりの部分特急で通りすぎただけというところなので、今日は初めて乗るつもりで詳しく見ておくことにする。

 博多を出ると市街地を高架で抜ける。隣に早岐行きの快速列車が停留している。早岐といえば当然に特急で行くところというイメージが強いが、そこまで快速列車が走っているのである。その列車を見ながら高架を降りていく。新幹線が並行し、車両区を見ながら竹下。ホームの屋根は木造で、JR九州でよく見る造りである。その後は新幹線がオーバークロスして離れていく。やっとすっきりした。そして住宅地へ入っていく。アパートや一戸建てがある。住宅地の中で笹原。この後の春日でも同じであるが、都市の近郊駅といったイメージが強い。そして、住宅地を進む。西鉄がオーバークロスする。団地の多いところで南福岡。車両区への線が分かれていく。この車両区のおかげで多くの普通列車が終点となっている駅である。この駅で特急2本待ちのため停車する。この列車と反対側の上り列車も同じように特急待ちで停車しているようであった。特急待ち自体は北陸本線で慣れているが、待つ側も待たされる側もきれいな新しい列車というところが新鮮である。

 南福岡を出ると、団地が多いところを通り春日。大学か何かの建物がある。右側に球場等の公園、左側に高いマンションを見て大野城。ここを過ぎたあたりから団地ではなく一戸建ての家が増えてくる。そして水城を過ぎて太宰府市に入ったようである。高速道路がオーバークロスする。住宅地だったものがいよいよ畑になったが、再び住宅地になり都府楼南。そして住宅地から市街地となり二日市。すれ違う門司港行きの普通列車は、かなり長い編成である。新しいロングシート車と古いクロスシート車が連なっている。実はこの駅は小学校6年生のときに、太宰府天満宮へいったとき乗った駅である。そういえば当時はまだ国鉄であった。

 二日市を出ると市街地から少し田畑が混じる景色となる。そして住宅地の中で天拝山。住宅地から国道が並行する水田の中となる。このあたりの景色は覚えている。そして山の中に入るが、その中で新しい住宅地ができかかっているところで原田。九州では「原」は「はら」と読まずに「はる」と読むパターンが多いようである。当然この駅も「はるだ」と読む。去年北海道へ行ったときは「幌」とか「別」というものが付いた駅名が頭から離れなかったが、今回はこの「原→はる(ばる)」と読む地名が頭から離れなくなる。原田を過ぎると左が山や農家、右が新しい住宅という景色が少しあり、山に囲まれたところで高速道路がオーバークロスする。国道も並行する。国道を見ながらけやき台。そして市街地になってきて基山。工場のあるところから住宅地になり、麦や茶の畑となる。国道、そして高速道路がオーバークロスし、日清製粉の工場を見て田代。貨物駅の大きな駅である。その後は新しい住宅地を見てすぐに鳥栖に到着する。隣に停まっている特急「かもめ」の新型車(白いかもめ)は、窓がUVカットのため、中に人がいるのかどうか分からない。とりあえずここまでは乗車したことのある区間である。ここから長洲までのさほど長くない区間は、1996年に列車ではなくフェリーで近道をしてしまったが為に、鹿児島本線の中で未乗となってしまった区間である。いつもはここから長崎方面へ向かうのだが、今回は熊本・鹿児島方面へ向かうことになるのであった。

 鳥栖を出ると突然大きなマンションがあったが、とにかく盛土の上を走り、住宅地を見下ろす。そして右側は広い田(麦畑?)、右側は工場が混じった景色となる。そして少し住宅があり肥前旭。その後は右側が新しい住宅街と、団地が混じっている。左側は水田であるが、駅を出てしばらくすると両側が水田となる。筑後川を渡り、工場が多くなり久留米。次の特急「ゆふ」が同じホームであるため、ホームには沢山人がいるがほとんど乗ってこない。少し高架になり市街地を抜け、工場から住宅になる。しばらくして久大本線と分かれる。住宅地で少し工場が混じっている。住宅と店が混じって荒木。その後はしばらく工場と住宅地で、住宅だけになり水田が広がる。そして再び住宅地になり西牟田。そして農地、住宅となり、新しい住宅が混じる。工場が並び、住宅地となるが市街地となり羽犬塚。筑後市の中心である。かなりの乗客が降りていく。

 羽犬塚を出ると、旧矢部線跡が分かれて行くが道路となっている。廃止された線が分かれていくというのは、北海道でよく見る風景であるが、九州でも同じようにある。市街地を抜け工場となり、その後は住宅地と水田が混じる。少し住宅があり船小屋。この駅は、新幹線の駅ができるということで、全国の新聞に、駅名だけはよく見かける駅である。しかし、この駅の周りは田が広がっている。雀の鳴き声が聞こえるし、待合室が小さな無人駅である。こういうところに新幹線の駅ができるというのである。または新幹線と在来線の接続駅になるのである。そのような将来の主要駅、船小屋を出ると川を渡り、畑がある。レンガ工場があり、少し市街地になると瀬高。ここも昔、佐賀線が分岐していた駅である。田と住宅の中を走り、住宅が増え南瀬高。同じように田と住宅のなかを走り、飯江川を渡り、工場そして住宅地となり渡瀬。田と住宅のなかを走った後、軽く山越えをする。その時に「にこにこのり」の会社がある。あのマークのインパクトが強い。その後田と住宅になり住宅が増え吉野。住宅地を走り銀水に到着する。

 この駅は、1996年に熊本駅へ来たとき、「銀水行き」という普通列車が多くあり、それで多くの普通列車を終点にしてしまうくらいであるから、さぞかし大きな駅なのだろうと思っていた。ところが来てみると、2面3線というのは良かったが、時間帯によって無人駅となる駅なのである。この時間も無人駅であった。駅舎も木造で、駅前には自転車がかなりの台数青空駐車されていた。ホームの向かいには西日本鉄道が並行しているが、ときどき列車が勢い良く通過していく。総合的に見て長閑な駅であった。とにかく、乗ってきた列車は行ってしまい、何となく取り残された気分になっていると、2番ホームに2両の真新しい列車が入ってきた。銀色であるが、所々黄色や赤色といったJR九州独特の原色を使った列車である。乗ろうとするとしばらく待ってほしいということで、しばらく待って乗り込む。ワンマン車で、整理券をとるようになっている。この時間、この駅は無人であるので整理券をとることになる。ロングシート車である。トイレがあるが、入ってみるとかなり広い。しかも洋式である。とにかく、以前来たときと全く違う列車が走っている。ドアも、外が赤色なら中が黄色である。また、窓はUVカットらしく、まぶしさがないが、何となく外が暗く感じる。中の路線図を見ると、この列車は鹿児島本線の銀水−八代間と、豊肥本線の熊本−肥後大津(この前電化されたところ)で走っているらしい。とにかく八代以降はこのロングシート車に乗らなくて済んだようである。ちなみに、この列車と同じような列車が大分付近でも走っていた。

 銀水を出ると、住宅地から市街地となり大牟田。銀水から大牟田の間は2〜3人しか乗っていなかったが、大牟田で座席乗車率80%(つまり吊革を除く)を越えてしまった。住宅地を過ぎて少し山を越えたようであった。おそらくこのあたりで福岡県から熊本県に入ったのだろう。そして次の荒尾でかなりの乗客が降りた。つまり、さっき乗ってきた列車からの乗り換え客が、大牟田−荒尾間を乗ったのであろう。博多方面から来る多くの普通列車が荒尾行きにもかかわらず、あの列車は大牟田行きであった。そのため、一区間だけ乗った人が多かったのである。その後は住宅地や農地の中を走り南荒尾を過ぎる。海が見えているようである。景色が途切れているのでおそらく海であろう。とにかくロングシートだとゆっくり景色を見ることができない。そしてメモを取ることができない。ということは場合によっては眠くなってしまう。そうして長洲に到着する。これで鹿児島本線は完乗である。ただし、特に八代以降は覚えていないので、初めて乗るような気持ちは変わらない。ここから港までは歩いたことがあるので海は近い。長洲を過ぎて、田と住宅の中を走り、そして田が広がる。そのうち住宅が増えて大野下。ドアが開いて風が入ってくる。土のにおいがする。その後は住宅地と田が混じる。海が近く海岸段丘になっているせいか、軽く段差がある。海が少し見えるが市街地になり玉名。もうこのあたりで、眠気がおそってきているらしく、メモも投げやりであるが、玉名を過ぎて肥後伊倉、木葉と過ぎるあたりで軽く山を越えていたようである。そして田原坂(通過)、植木、西里(通過)のあたりで、山と谷を越えていたようである。熊本工大前が山を下りている途中にあった。上熊本で市街地となる。むしろ中心部には近いらしく、かなりの乗客が降りる。そして市街地を通り熊本に到着する。

 熊本は1996年に2回も来ている。特に真新しいこともなさそうなので、そのまま三角線の列車に乗り換える。今日は西鹿児島へ行き、指宿枕崎線に乗るまでが目的であるが、その前に三角線に乗っておくことにする。ここを残すと、改めて熊本まで足をのばさなくてはならなくなるからである。三角線の列車は転換式の1+2列シートであった。空席も少ないので1列の方に腰を下ろす。おみやげを持った人などが多く乗っている。

 熊本を出ると、市街地から貨物駅が広がっているところへ入っていく。白川を渡り高架になる。下には線路の跡がある。住宅地を見下ろし、そして降りていく。住宅地や団地があり川尻。駅の裏には田が広がっている。工場と住宅の混じったところを走り、川を渡る。左側が住宅地、右側が田でビニールハウスが広がっている。そのうち左側も田になり緑川を渡る。住宅が増える。住宅と田が混じったところをしばらく走り宇土に到着する。ここから鹿児島本線からしばらくはずれることになる。

●三角線(宇土−三角−宇土)

 鹿児島本線と分かれしばらくして宇土市街が見える。宇土駅は市街地の中心というよりも三角線と分かれるために都合の良い場所にあるようである。三角線も市街地の縁を走っているようである。宇土駅に「三角線開業100年」の看板があった。左側は山が近くて畑の中を、右側は山がなく住宅地を走る。住宅が増えてくる。たばこ畑があり緑川。この列車はワンマン車で、前から乗ることを知らずにずっと後ろのドアの前でドアが開くのを待っている人が何人かいた。とりあえず気づいて走ったので乗ることができてよかったものの。その後は左側にコンクリート製品の工場があり、溝が沢山積まれている。たばこ畑が広がっているが、その後、工場・住宅地がある。一瞬山を越えて再び田・畑が広がる。住宅のあるところで住吉。このあたりの家は農家的な家で、しゃちほこの立派な家も一部ある。左側に座っていたので左側を見ていたら山であった。そのため、山の中を走っているものと思っていたら、右側には海が広がっていた。港があり、住宅が多くあり肥後長浜。港町である。少し混んできて、立席が多く出てきた。ドアは開き戸であるがドア付近に立っていると光センサーが働いてドアが閉まらないとのこと。運転手がその旨を放送で言い、当事者が気づいたらしく移動すると、運転手は「ありがとうございました」と放送で言い、ドアが閉まった。

 しばらくは海に沿う。そして海から離れて田と畑が広がる。左側に見える山には中腹あたりまでビニールハウスが広がっている。そうして網田。山の中に入るのかと思ったが再び海に沿って走る。南国的な植物が並んでいる。左側は山であるが、そのうち高いところから海を見下ろして走るようになる。そして赤瀬。トンネルに入るが、壁が古い。開業100年だけある。トンネルを抜けて山の中。住宅が少しある。農家があり石打ダム。その後は山の中を下っていき、ビニールハウスの畑・田を見下ろす。そのビニールハウスの高さまで降りてきて、軽く山を越え短いトンネルをくぐる。家が多いところで波多浦。その後は今度は左側に海が見える。赤瀬からここまでの間で半島を横断したのであった。湾になっているところで、対岸に造船所がある。瀬戸内海でよく見る景色である。そして町になる。尾道や下関を小さくしたような町並みである。そうして三角に到着する。短い線であったが、天草を控えた路線であり、乗客が多かった。駅前から天草諸島へのフェリーが出ている。思わず乗りたくなったが、今日は枕崎まで行って西鹿児島で泊まらなくてはならない。天草へは今度ということで、同じ列車で引き返すことにする。

 帰りは空いていたので、さっきとは反対に座ることにする。さっきは首を伸ばさないと海が見えなかったが今度はきちんと見ることができる。国道がきちんと並行していたことに気づいた。そうして宇土まで戻る。

●鹿児島本線(宇土−西鹿児島)

 宇土では、小型の時刻表を見る限り乗換時間が0分であった。しかし、大型の時刻表を見るときちんと5分もの乗換時間があった。宇土駅の到着時刻が書いてあるかどうかの違いである。とにかく、その時間の間にとりあえず外へ出て、ついでに飲み物を買っておく。そして八代行きの普通列車に乗る。この列車はさっき銀水から熊本まで乗った列車と同じロングシート車であった。そのためゆっくり外を見ることもできない。とにかく、宇土から八代の間は基本的に住宅地と農地で、松橋−千丁間では住宅の比率が低いようであった。農地は二期作か二毛作か分からないが、この時期はビニールハウスが多い。麦畑と思っていたがもしかするとこのあたりなのでイ草かも知れないと思いながら外を見ていた。そうして八代に到着する。長洲−八代間は普通列車で移動したこともあった。その時は北陸本線と同じ列車なのでうれしかったが、今回は全く違うものであった。ここからは特急で、しかも半分眠りながら通ったところなので、事実上新規乗車のつもりである。

 八代でほとんど時間がなく、とにかく乗り換える。混んでいたら困ったが、かなり空いていた。これが青春18きっぷの季節外に普通列車での旅をする魅力である。しかも、北陸本線と同じ形の急行型改造普通列車である。ゆっくり外の景色を楽しむことができそうである。

 八代を出ると少しだけ球磨川に沿って走る。そして肥薩線が、海側に分かれていく。トンネルをくぐり、肥薩線をオーバークロスする。鉄道の世界では、後にできたものが先にあったものの上を通るということが普通である。というのも、もともと八代からは肥薩線がもとの鹿児島本線であった。それを、現在の出水・阿久根等を通るルートができたため、こちらの方、つまり今乗っている方が鹿児島本線を名乗ることになったのである。現在の九州自動車道が、八代から肥薩線沿いに進んでいき、完成していて、一方南九州自動車道が現在建設中であるということで、最初は肥薩線のルートを通って鹿児島へ行くという流れらしい。ただし、新幹線はまずは新八代から鹿児島方面まで、現在の鹿児島本線のルートで建設されるようである。話がそれたが、球磨川を渡ると、住宅の比率が大きい水田の中を走る。家が多くなり町らしくなり肥後高田。町の中を走る。工場もある。南九州自動車道がオーバークロスする。しかし、高速道路にある看板によると、もう終点らしい。八代JCTから分岐して短い運命であった。左側が山で右側が海に近そうな町であった。その後田が広がるが、町になり日奈久。町を走りトンネルを抜けるがまだ町であった。さらにトンネルを抜けると、南九州自動車道が建設中である海沿いとなった。そして海に沿って走る。海との間に堤防と水田があり肥後二見。特急列車通過待ちのため4分停車であったが、特急「つばめ」の遅れのため、それよりも長く停車していた。

 ようやく肥後二見を出発して、海沿いに走る。かなり海岸線に忠実に走っている。対岸には天草諸島に一つである上島が見えている。その中で港があり、少し町があって上田浦。その後は海沿いであるが山が迫っていて、トンネルが増える。そのうちに山に入り、少し長いトンネルへ。抜けると家や農地があり少し町である。海から遠いところかと思ったが、湾が奥まで入り込んでいる。その湾の奥で満潮と干潮の差が激しそうな所を見て再び町になり肥後田浦。工場があり、その前には南国的植物がある。谷に入っていき、田がある。そのうち山に入りトンネルへ。抜けると海と港町を見下ろす。みかん畑があり黄色い実が見える。町と海を見下ろす高いところに海浦。すぐにトンネルとなる。抜けて谷を見下ろしながら降りていく。町になり佐敷。左側が水田で、右側が町という状態が少し続いたが、なくなり、左側が山で右側が川と国道・家と店である。そのうち左側が山で右側が町となり、さらに両側が町になり、町からはずれかけたところで湯浦。八代を出て単線であったがここからしばらくは複線である。田のある谷を通る。九州新幹線の橋桁が工事中であった。谷が狭くなり山へ。上下線分かれてトンネルに入る。抜けて谷を走る。家が増えてくる。少し高いところを通るので家を見下ろしている。短いトンネルを抜け、少し町らしいところで津奈木。また単線に戻る。乗客が少なくなっている。私の乗っている3両目は1人で貸切状態である。隣の車両を見てみると5〜6人であった。この駅で上り列車とすれ違う予定であったが、遅れているためすれ違わずに発車した。トンネルをくぐり、勾配を登る。さっきの町を見下ろす。駅では海が見えなかったが、かなり海に近いようであった。その後、谷を抜けて町が見えたところに信号所があった。さっきすれ違うはずだった列車が停まっている。谷を見下ろし、それが右側に開けて町になる。川を渡り、その川に沿う。町の対岸を走り、次第に町になってくる。建物が増え、病院・デパートなどが現れ水俣。

 水俣では特急列車が追い越していく。編成も長く、向こうにはたくさんの乗客が乗っているが、こちらには少ししか乗っていない。九州新幹線開業後の新幹線の方と、残された在来線(第三セクター)の運命の違いを見たような気がした。一応この切符でもあの隣の、満員の列車に乗ることができるが、これだけゆっくりと車窓を堪能できるというのが普通列車の良いところである。これが青春18きっぷの時期だと、また状況が変わってくるのである。水俣を出ると、町の外側を走り、海に近づくが山になってしまう。しばらくして海を見下ろす。しかしまた山になるが、ときどき海と町を見下ろす。町を見下ろした後山の中で袋。みかん畑が見え、家も少しある。小さな待合室のある駅であった。その後山となる。このあたりが熊本県と鹿児島県の県境である。そして、海を見下ろす。海沿いの町に降りていく。町が消え、海沿いを走る。「ようこそ出水市へ」の看板がある。町になってきて、埠頭やサイロのある港がある。家が増えてきて米ノ津。すでに出水到着予定時刻を過ぎているが、5分停車するとのこと。町を抜け、水田が広がる。少し離れて国道沿いの店が見える。町になってきて出水に着く。ここで乗換である。13:41到着予定のところ、57分頃に着く。乗る予定の列車は来ていない。定刻ならば駅の外へ行く予定だったが、その時間はない。どうも、この一連の遅れは、どこかで人身事故があったかららしい。聞こえてきたところによると、誰かが自殺をしたらしい。14:00頃、乗るべき列車が到着した。ほとんど同じ列車で、お互いこの駅で引き返しているらしい。理由はよく分からない。

 出水を3分遅れて発車する。川を渡り、田・畑が広がる。町になって西出水。高校生が少し乗ってくる。それから山の中に入ったように思った。しかしそうではなく、林、でもなさそうである。ポプラや杉などが、場所を区切って、種類別に生えている。おそらくこれは製品としての木であろう。例えば街路樹として使われる木であると思われる。水田と家があり住宅地の中で高尾野。そうして、サイレンを鳴らしながら徐行する。どうもここが、一連の遅れの原因となった人身事故の現場らしい。車内でも高校生がそのことについて話している。また、木を育てているようなところを見る。そして、さっきの徐行での遅れを取り戻すようにかなりの速さで走る。畑が広がり、住宅が増え野田郷。低い山の谷を走る。サイレンを鳴らして列車のスピードが落ちた。しばらくして煙が見えたがたき火をしていたおじいさんがいた。どうもこれを危険を知らせる煙と紛らわしかったらしい。田が広がり家があり折口。住宅が途切れ海に出る。高いところから海を見下ろす。ときどき畑に海を見ることをじゃまされる。大島という島が見える。どこにでもある名前の島である。港が見え、町になり阿久根。ここは九州新幹線に無視される市である。今なら特急つばめがよく停車するが、これが新幹線開業により、第三セクターとなってしまうのである。

 阿久根を5分遅れて出発する。町を盛り土の上から高架で見下ろし、同じ高さになり住宅がある。そして谷に入る。抜けて湾が見える。そこに集落があるが、通過する。また集落があったが通過する。山の中に入り、畑が広がる。採石場ではなく、砕石場がある。しばらくして海に出たところで牛ノ浜。しばらくは国道と海に沿うが山に入る。トンネルを抜け谷になる。その谷が町になってきて海沿いに出て薩摩大川。トンネルを抜け海沿いの集落を見て海に沿って走る。岩場を見下ろす。田と集落がありそこを降りていく。海が見えるところで西方。海沿いの集落を少し見てトンネルへ。抜けると海沿いを走る。南国的な植物もある。トンネルを抜け薩摩高城。家が近くに見えないが海水浴場が多いようである。ここに限らず、海水浴場や岩場で遊んでいる人は多い。少し集落を見て山の中に入るがすぐ海が見える。その後山に入り、谷を走り田が広がって集落があり草道。普通列車とすれ違う。谷を走る。そこには田と家がある。少し眠くなってきた。そうしているうちに上川内。ここで特急列車とすれ違うが、さらに遅れる。町に入っていく。川内川を渡り町の中心に近づく。そして川内に到着する。

 川内を10分遅れて出発する。住宅地を抜け、山の中に入ると思ったが、すぐに住宅地が開ける。それが続いて隈之城。山の中へ入る。抜けて谷に田や家を見下ろして木場茶屋。ここから複線である。トンネルを2本抜け、谷を見下ろして下っていく。町が現れて串木野。ここで9分遅れている。駅の裏にプリマハム鹿児島工場がある。工場の前には南国的な植物が植えられていてとても目立つ。ここに限らず、このあたりでは会社の前や工場の前に南国的な植物を植える傾向がある。ここから再び単線となる。スピードを上げ、町が続く。海が少し見える。町が途切れたが再び家が増え市来。農地と住宅の中を走るが、町になり湯之元。このあたりから列車の遅れが気になる。このままの遅れで着けば、どうにか指宿枕崎線に乗ることができる。しかし、ここから予定外のすれ違いがあると、どうしても乗り遅れる。まして、この後を走っている特急つばめであるが、これを先の通すということになればもう終わりである。とりあえず、この後ろを通っている特急つばめが追い越すことなく西鹿児島まで着くなら、特急の乗客を指宿枕崎線に連絡させないといけないので、こちらは少し余裕があるだろう。湯之元を出ると軽く山を越え谷を下り東市来。ここで8分の遅れに縮まる。頑張って走っているのである。しかもここからは複線である。予定外のすれ違いということはない。とにかく、特急つばめが追い越していくという状況だけは避けて欲しいものである。東市来を出て山の中に入る。田が広がるが再び山の中に入りトンネルへ。抜けて町になり伊集院。ここで下りて枕崎までバスで行くという手もあるが、確かちょうどよいバスがなく、断念した。

 伊集院を出ると一時的にカーブがきつくなる。地下鉄の脱線事故で話題になった補助レールがあるようである。そして田を見下ろすまっすぐなところを走る。一時的に上下線が大きく分かれる。谷の中で町が現れ薩摩松元。田と家のある谷を見下ろす。トンネルへ。抜けてすぐに上伊集院。カーブの途中にある谷の中の駅である。その後はトンネルを2〜3個使いながら山のなかを下っていく。どうも西鹿児島駅へ行くにはどちらの方向からも山を越えなければならないようである。谷の途中から町が始まり広がって西鹿児島駅である。県庁所在地駅へ行くには、前2〜3駅からそのような雰囲気が漂っているものであるが、西鹿児島の場合は山を下りて突然町が広がって県庁所在地駅という構成である。

 西鹿児島駅も以前来たことがあるので特に騒ぐことはない。とにかく指宿枕崎線に乗り換えなくてはならない。あわてていたためカバンが開いたままであることに気づかず、階段の途中でカバンの中のものをばらまいてしまった。通りがかりの人に拾っていただいたが、これは気を付けなくてはならない。とにかくあわてたまま指宿枕崎線の列車に乗り込む。

●指宿枕崎線(西鹿児島−枕崎−西鹿児島)

 とりあえず、指宿枕崎線の方は予定時刻になっても発車しない。もうすぐ来る特急「つばめ」の乗客を乗せるためであろうと思う。ただし、さほど遅れずに発車する。この列車は快速「なのはな」3号であり、3往復しかない快速列車の一つであるので混んでいた。転換式シートであり、無理をすれば誰かの横に座れないこともなかったが、これだとあまり景色も見ることができないので、ドアの近くになっていることにした。この列車はやはりJR九州独特の、原色で塗色された新しい列車である。

 西鹿児島・郡元・南鹿児島・宇宿(うすき。大分にある臼杵と同音異字)・谷山と鹿児島の市街地を通る。鹿児島本線の方は市街地に入っていきなり西鹿児島駅であったが、指宿枕崎線は錦江湾に沿っている市街地に沿って走るので、しばらくは市街地が続く。この列車も快速であるのに一つ一つ停まっていく。次に慈眼寺を過ぎると、住宅地で山を登っていく。そうして鹿児島市内と海、さらに桜島まで見下ろして文字通り坂の上。絵に描いたような桜島の景色であり、間に町と海も挟んでいる。下っていき、期間限定の停車である五位野。ここまではどこも通過せずに来た。そこからは3つほど駅を飛ばすが、海を見下ろし、桜島が見える景色である。南国的な植物も所々に生えている。そのうち大隅半島が対岸に見えるようになる。ときどき集落があると駅があるが、それらの駅は通過している。そのうち前方に石油基地が見える。しばらくして、並行する国道から、石油基地へ向かってまっすぐな道が通じている。その道の並木はもちろん南国的な植物であった。一旦山を越えてから、石油基地の名前にもなっている喜入。

 喜入を出ると、谷の中に水田があるところを走り、山の中へ入る。トンネルを抜けると海があり、しばらく海に沿って走る。高くなって海を見下ろす。この間に2駅通過している。前方に町が見え、下っていき、その町の中に薩摩今和泉。山を越え、再び海に沿って走る。そこで最後の通過駅を通過し、広いところへ出て町に入る直前に二月田。そして町になり指宿。そしてホテルや南国的な植物、畑と家がある。ここまで来ると南国的な植物に飽きてきた。こればかりなのである。対岸には指宿漁港の町が見える。もっと遠くには大隅半島の根占の町が見える。今回、指宿からの帰りはここから対岸の大隅半島・根占まで船で行き、そのまま鹿屋を通り志布志までバスで行くことも考えていたが、こうなると日豊本線鹿児島−隼人間、そして吉都線が空白になってしまうため、結局やめたのである。いずれはそういうコースもとってみたい。そうしているうちに山川に到着する。有人駅ではJRグループ最南端の駅である。ここから本当の最南端西大山を経て入野あたりまではほとんど同じ緯度である。最南端ゾーンを走ることになる。しかもここから乗換である。運転本数が少なくなる区間である。そのため、跨線橋もなく、線路の上を横断して、乗り換える列車に乗る。この列車はJR九州独特のきつい色ではなく、国鉄時代からあったものをおとなしい色に塗り替えたものである。さらに、2両あり、それほど混んでいない。最南端を落ち着いて乗ることができそうである。

 山川を出ると、急に勾配を上り出す。そうしてそのうちトンネルに入ってしまう。トンネルを抜けると、こぶが2つある山があり、ビニールハウスのある畑、そして前方に開聞岳がある。煙突から煙が出ている。これが地熱発電所である。集落があり大山。起伏のある畑地で、南国的な植物がある。前方の開聞岳と合わせて、初めて見る景色である。別世界である。去年行った日本最北端の稚内、最東端の根室も別世界であったが、日本最南端の鉄道が通っている地もやはり別世界である。そうして、畑の中に日本最南端の駅西大山駅があった。よく開聞岳と一緒に写真に写っている駅である。下りてみたい衝動に駆られるが下りるとこれ以降の指宿枕崎線が、日没後の乗車になってしまう。とにかくそのまま乗る。独特な畑の中を進んでいく。開聞岳以外は低い山しかない。開聞岳が目の前になりこれもやはり畑の中に薩摩川尻。きれいに開聞岳が見え、そのうち近づきすぎて見にくくなってしまった。右側には水田と集落が見えて東開聞。すぐに開聞岳がきれいに見えるようになる。きれいな形の山だが、完全に富士山型ではないため、方向によってきれいに見えたり、あまりきれいに見えなかったりしている。特に縁の一部分が異様に出っ張っているところがあり、そのあたりを通過しているときが一番よく分からない形をしている。水田があるがなぜかここは田植えが終わっていた。九州は北陸よりも田植えが遅い。現在は北陸が田植中である。二期作なのだろうか。そのうち家が多くなり、開聞。駅前には南国的な植物がある。その後は開聞岳の麓を通り、少しアップダウンがあり入野。そういえば昨日も同じ漢字の駅を通った。三原と広島の間にある駅であるが、広島の方は「にゅうの」と読み、この鹿児島にある駅は「いりの」と読む。このあたりまでが地図上、日本の鉄道で最南端の地を走っていることになる。その後は若干北上して枕崎を目指すことになる。薩摩半島の中でも、火山活動によって新たに陸となって付け足されたところであろう。そのために景色も独特であった。入野を出ると開聞岳を後ろに見る。畑の中を走り、そのうち海を見下ろすところに出てくる。トンネルに入り、また海を見下ろし、ということを繰り返して畑の中で頴娃(えい)。ローマ字で書いても、ひらがなでもカタカナでも漢字でも2文字の駅である。

 頴娃を出ると、右側には低いがそれぞれ独立した山がいくつかある。畑中心の景色であるが水田も混じっている。起伏がある土地である。家が増え西頴娃。駅を出て向かう方向が変わると、開聞岳がきれいに後方に見えるところがときどきある。畑の中を通る。そして工場があった。やはり南国的植物が植えられている。家が増え御領。山になり登ったところで畑が広がる。少し下り、家の多い集落を見下ろして石垣。そのまま高いところを走り、集落を見下ろして水成川。そのまま山の中を走るが、ときどき海と集落を見下ろして頴娃大川。山の中を走るが、突然黒い色の川を渡る。加治佐川というらしい。まさかヘドロで黒くなっているわけでもない。おそらく底が火山灰か何かでそういう色になっていると思う。山の中で松ヶ浦。山の中を下っているようである。そして薩摩塩屋。山の中を走っているがときどき海が見える。家が今までの駅より多くなり白沢。枕崎市に入っている。地図を見ていると枕崎飛行場が近くにあるはずだが、その時は気づかなかった。畑が広がりその向こうには海が見える。工場があり林を超え畑と海を見ながら薩摩板敷。畑の中を走る。きちんとした形の山が海の方に見えるが、地図上名前を確認できない。下っていきトンネルを通り、枕崎に到着した。同時に、金沢駅からここまで、快速等を含む普通列車等で来るという、今回のこだわりを達成することができたのである。といってもここから西鹿児島まで戻って、さらに明日の都城、そして普通のバスに乗って志布志から田吉で乗換え、宮崎空港まで普通列車が続く。

 枕崎では8分程度しか時間がないがさほど混まないようなので一旦駅の外に出る。昔は1面2線のホームだったようだが、今は1面1線である。昔もう1本線路があったあたりは、ホームが崩れて人が自由に歩けるようになっている。駅舎もあるのだが、無人駅で駅舎の意味をなしていない。駅舎を通らずに自由にホームに上がることができるようになっているしそれが普通のルートのようである。とにかく、「朽ちた駅」という表現がぴったりであった。駅前には伊集院行きのバス時刻も出ていたが、もう終了していたようである。ここからどこかへ行くときはバスと列車どちらがメインになるのだろうか。一応市であり、それなりの決まったルートがあるはずである。

 時間があったら一本後の列車で帰りたいのだが、この後鹿児島市へ戻り、休息した後明日の朝は早い。とりあえず乗ってきた列車で帰ることにする。帰りはだんだん日が落ちていた。開聞岳が見えるあたりまでは何とか明るさがあったが、西大山あたりでは完全に暗くなっていた。山川では本当に暗くなっていた。一応、山川駅で外へ出てみた。有人駅では日本最南端という標識があった。日本最北端の駅へ行ったちょうど1年後に日本最南端の駅を通過しているのである。山川から、快速なのはなとおなじ列車に乗る。暗いのでよく分からないが並行する国道はかなり渋滞しているようである。行きと違い、乗客が少ないので明るければ錦江湾の景色を堪能できたはずである。行き止まりの景色を、帰りは日没後で戻る、というのもある意味効率的な動きなのかも知れない。ただし、電車ではなく気動車で、しかも起伏のある路線なのでいくら新しい型と行ってもエンジンの音がする。景色を見ているうちには気づかないが、景色が見えなくなって音楽などを聴こうとするとそのエンジンの音が気になる。

●鹿児島市

 日没後の中を走り、西鹿児島に戻ってきた。今日は西鹿児島駅からかなり近いところにある都市型サウナに泊まることにする。この駅自体は一度来ているのでさほど迷わず外に出る。夕食はどこかで食べようと思ったが、特に空いていないのでサウナの食堂で食べる。単独行動だと食事にそれほど重きが置かれなくなる。とりあえず食べることができればそれで良し、ということになる。駅前から路面電車も出ている。昔乗ったことがある。今回も、翌日もう少しゆっくりしていれば天文館あたりで泊まったのであるが、朝早いのでなるべく駅に近いところを選んだ。

 泊まったところは、「仮眠室」というものがある。これはどこにでもある名前なのだが、ここは深夜料金というものがかからない代わりに仮眠室利用料というものがかかる。その意味を聞いてみると、使うなら予約して欲しいとのことで、とりあえず予約する。入浴して夕食を食べ、再び入浴して仮眠室へ行く。2段ベットが沢山並んでいて、カーテンで区切られているのである。B寝台並の居住性である。これは得をした。サウナ利用料1,500円と仮眠室利用料800円で、B寝台並、カプセルホテル−αの居住性なのである。以前来たときから鹿児島の物価の安さに驚いていたが今回も例外ではなかった。ただし、あまり強くなさそうな2段ベットで、壊れないかどうか心配ではあった。


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